日本一の山に登る [自転車日記]
自転車レースと一口に言っても種類は色々有る。ヒルクライムレースと言うのはその名の通り、上り坂にて行われる。自転車に乗ったことのある人なら分かると思うが、上り坂はきつい。しかし、自転車乗りの中にはその魅力に取り憑かれた者も多い。おそらく、平地を走るよりも、ゴールをしたときの達成感の大きさが違うからではないだろうか?
Fujiヒルクライムは毎年人気を集め、去年は私の仲間も数人が申し込みに間に合わないと言う事態が発生した。今年は私が全員分まとめて申し込んだので良かったが、受付開始から僅か27時間足らずで定員に達し、申し込みは締め切られた。ちなみに定員は4000人。人気の高さが伺える。
レース前日の土曜日は雨。しかもかなり気温が下がっていた。昼過ぎに地元を発し、現地でエントリーを済ませて宿にチェックインする予定だった。
昼前にH/Kから電話が入った。
「NOBの自転車のワイヤーが切れているらしい。自転車屋に寄って直してから行くしかないな・・・」
とのこと。
NOBは毎回何かをやらかし仲間の足を引っ張るが、今回も見事にやってくれた。そんなわけで、予定時刻を2時間ほど送れての出発となった。
メイン会場の富士北麓公園に着いたのは午後5時前だった。雨が降り続き、吐く息は白い。
引き換え券を持って受付に行き、ゼッケンを受け取る。このゼッケンに計測チップが取り付けられている。私は体調不良の為、記念品を受け取ってから棄権を申し出た。
自転車を車から降ろし、空気圧をチェック。自転車を会場に預けて、ようやく宿に向かった。宿は富士急ハイランドから車で5分くらいの距離にある。この日の泊り客は、全員ヒルクライムの参加者である。それ以外の客は断ったと言う話だ。なぜなら、レース当日の朝は3時過ぎから選手達が起床し、ガチャガチャと自転車の音を出したり、バタバタと会場に向けて出発するのでとても一般の人は泊まる事が出来ない。
この宿、素泊まりで4500円。サービスは悪く、布団は埃っぽかった。
部屋に荷物を置き、夕食を摂りに出かけた。なぜか、蒲田を出発した瞬間からItohshiが
「かっぱ寿司を食おうぜ!」
と、言っていたので、かっぱ寿司に向かった。土曜の夜なのでかなり混んでいたが、どこへ行っても同じだろうということで、しばらく待って食べた。
この日の大食い王はItohshi。もろもろのネタ19皿。個数にすると37個(一皿だけ一貫)。レース前日に食いすぎ!ちなみに私は13皿。個数に直すと26個になる。かなり腹が一杯になったが、どれでも一皿105円なのでとっても安く感じる。あじはまあ、それなり。満腹になった我々は、ドンキホーテで買い物をしてから宿に戻った。
仲間の一人である鶴之丞は、仕事の為、夜電車でやってくる事になっていた。到着は23時過ぎになるとのこと。出場選手たちは風呂に入って就寝した。
私はとりあえず、鶴之丞が到着するまでは起きていようと、布団の中で待った。前日はなかなか寝付けず、2時間ほどしか睡眠をとっていなかったため、この日一日具合が悪かった(ただでさえ体調不良なのに)。鶴之丞が到着したらぐっすり眠れるだろうと思ったが、何とこの日もろくに眠れず、2時間ほどうとうとするにとどまった。目覚まし時計が鳴るまでの間、いびきの三重奏が奏でられていた事もあるかも知れない。ちなみに奏者はItohshi、鶴之丞、NOB。
明け方3時半。近くの部屋か、廊下かは分からないが、男達の話し声と、ものすごくハイテンションな笑い声が聞こえてきた。出場者達が起きて来たに違いない。それにしてもものすごいハイテンション。朝からこんなにハイテンションなんて、ちょっと異常な気もした位。
4時半になり、我々も起床する時間。あわただしくジャージにゼッケンを取り付けたり、おにぎりを食べたり、お茶を飲んだり。なんだかんだで5時30分くらいに宿を出た。私は睡眠不足でふらふら。
車を富士急ハイランドの駐車場に止め、そこからは送迎バスで会場まで行く。もうかなりの人が会場に集まっている。
『富士急駐車場で準備をする人々』
辺りには霧が立ち込め、かなり肌寒い。しかし、会場に着いてしばらくすると霧も晴れ、日差しが射して来た。天気は持ちそうだ。
『スタートを待つアスリートクラスの人々』
スタートは7時から自己申告した予測タイム順に行われる。我々は後ろの方で、アスリートクラスがスタートしてから30分以上間がある。
『我々の集合場所からの富士山』
『今年は雪が多いらしい』
私は寝不足でふらふらながら、スタートの模様を撮影しようとスタート地点へ向かった。
『女子の部スタート』
勇壮な太鼓に後押しされながらスタートが切られる。タイム計測開始地点までは比較的ゆっくり走る。
『ひしめく車輪』
『太鼓の応援』
この太鼓がなかなかいい。ドンドンと響いてくるので、応援してもらっていると言う実感がある。はじめて参加したときには走っている途中で太鼓の応援に会い、力が蘇ってきた記憶がある。
続々とスタートが切られていく。
『最終スタート集団』
最後の選手達がスタートする頃、最初にスタートしたアスリートクラスの選手達は半分以上を走りきっていると言うことになる。
選手達が全員スタートしてしまうと、会場は急に寂しくなる。時折、先頭は○○選手で何キロ地点を通過した・・・などと連絡が入るものの、レースの映像が映し出されるわけでもない。
私は、写真を撮ったり、
『トイレがなければ・・・』
地元の人たちが演奏するロックを聞いたりしながら過ごした。
『人が少ないので盛り上がりに欠けていた。真剣に聞いている人もほとんどいなく、ちょっと可哀相・・・』
それにしても日差しの強さがすごい。痛いくらいだ。前日の雨がうそのようだ。あっという間に日焼けしてしまった。
そんな中、アスリートクラスの人たちが下山してきた。
『元F-1レーサーの片山右京選手』
自転車のりとしてもなかなかのもの!何でも、風邪をひいていて、前日に点滴を2本打っての出場だとか。その状態でこの走りっぷりは尊敬しちゃいます。
『優勝のリンタマンクリス選手』
優勝したのはこの選手でした。タイムは1時間と28秒。凄い事です。計測開始地点からゴールまで24キロ。平均時速24キロで五合目まで登ったと言う事。プロの選手ではないので
「仕事を休んでレースに出ている」
との事。おめでとうございます!
さて、私の仲間達もずいぶん遅くなってから下山してきた。全員無事完走出来た。
一番早かったのは鶴之丞だそうで、1時間50分位。一番遅かったのはItohshi。2時間20分くらい掛かって登った。途中、休憩地点で何度も止まって小便をしたとか・・・。
「寿司の食いすぎで、体が重かったんじゃねぇか?」
と聞いた所、
「帰りにもう一度かっぱ寿司に行こうぜ!」
選手に無料で振舞われる『吉田うどん』をすすりながら答えるItohshiだった。
完
ツールドおきなわ2007 最終回 [自転車日記]
今年も長くなってしまいましたが、今回でツールドおきなわレポートは最終回です。毎日更新すれば1週間で終わるのにね。
最終回
我々は首里城を出てから、まずレンタカー屋へ向かった。自転車を東京へ送ってあるため、2台も車が必要ない。したがって一台だけ先に返してしまおうというわけ。
レンタカー屋へ近づくにしたがってH/Kの顔に緊張の色が見られ始めた。前日発見されたレンタカーの傷が気になって仕方が無いのだ。レンタカー屋につくと勢いよく店員が出迎えた。
「お帰りなさーい!返却でーす!」
「い、いや、一台だけ返却でもう一台はもう少し貸しといてください」
「はい、分かりました!」
「それとあの、この傷なんですけど、昨日の夜気付いたんですけど、ぶつけた記憶が全く無いんですけど・・・・」
「・・・・・・・」
H/Kは店員を連れて車の後ろに回った。一同に緊張が走る!
「・・・・・・」
「ああ、この傷は最初からついていましたよ」
「あ、ああ、そうでしたか!そうだと思ったんですよ!ぶつかった記憶もないし」
「スイマセン、貸し出しのときに言い忘れたみたいで・・・」
「いやいや、いいんですよ。はっはっはっ・・・・」
傷が我々のせいではないとわかって一気にH/Kは明るくなった。
『国際通りの入り口』
さて、我々は残った1台の車に乗って国際通りへ。まずは腹ごしらえをして、土産を買って・・・・。しかしもう時間が無い。のんびりはしていられない。
我々はステーキを食べるため、とあるステーキ屋へ入った。
「さあ、何を食おうか?」
「俺は1ポンド食うぜ!」
沖縄はステーキが安い。初めて沖縄に来た年には毎日ステーキを食べた。去年はステーキを食べる機会に恵まれなかったから、今年こそ1ポンドでも2ポンドでも食べたい心境だった。でも、結局、沖縄料理を優先してしまう。今年は毎日「豆腐よう」を食べた。
『どどーん!1ポンド(450g)ステーキ!』
私とNOBはこの1ポンドステーキを食べた。 沖縄では常に腹がいっぱいの状態だったが、これが最後と味わって食べた。私は後半分は食べられた。東京は神田にある「ホテルニュー神田」のレストランでは「ステーキ食べ放題」というのがある。今もまだやっているかはわからないが、当時は「本当に食べ放題でいいの?」という料金でステーキを提供していた。私はそこで3枚ほど平らげた事がある。1枚200グラムほどだから合計600グラムほどだと思う。大変満足した覚えがある。今もやっているのならぜひ食べに行きたいと思っている。後で検索してみようかな?
話を元に戻して。
ステーキを食べ終わった我々は集合時間と場所を決めて解散。各自バラバラに国際通りを土産求めてさまよい歩く。色々な物が売っていてかなり迷ってしまうが、時間が無いためゆっくり見ていられない。
あっという間に集合時間となってしまった。急いで集合場所に戻るとみんなそろっていた。
「じゃあ、行くか・・・」
レンタカー屋に車を返し、レンタカー屋の送迎車で空港へ向かう。
『沖縄も夕暮れ時刻・・・・』
フライトまでには少し間があるので、空港の土産物屋を見て歩いた。私は『こーれーぐす』という島唐辛子の泡盛付けと、ゴルゴ13をもじった『ゴーヤ13』の携帯ストラップを買った。さらに、機内で食べるためにと『大東寿司』というのを買った。大東島名物の寿司だという事である。鰆のヅケの寿司だった。NOBはオリオンビールを買い込み、機内で飲むつもりらしい。
さて、出発の時間。今年もあっという間の3泊4日だった。
今年目標に掲げたイカの墨汁を食す事は初日に達成した。レースの方でもほんの僅かに去年のタイムを上回る事ができた。去年が最悪だったといえばそれまでだが、まだまだ走れるという事を実感した。
レースには多くの人が参加している。競技なので順位が重要だが、突き詰めてみれば私にとっては何より自分との戦いなのである。プロじゃないし、自分でやり遂げたという達成感があればそれで満足。後は少しでも前を向いて進み続ける事。これが大事なんだとあらためて気付いたような気がする。
そして仲間達。中学生の頃からの腐れ縁だが、彼らがいるから毎年沖縄に来る事ができるし、自転車だってのんびりと続ける事ができる。普段は当たり前すぎて気付かないけれど、ともに旅に出たり、レースに出るとその大切さが分かる。感謝。
今回の旅で忘れられない事がある。旅行記第1回で触れたが、『あんまー家』で、出会った大阪の夫妻。写真を送るはずだったが、アドレスを間違えたため、送る事ができない。名前も電話番号も聞いていなかったため、もう二度と連絡を取ることはできない。大変残念である。レース中、くじけそうになった時、この夫妻の言葉を思い出したからこそ立ち直る事ができたというのに。旅先では色々な人との出会いがある。これからも色々な人との出会いがある事と思うが、一つ一つの出会いを大切にしていきたいと思う。
来年も沖縄に来る事が出来るのだろうか?毎年沖縄に来るたびに、「今年で最後になるのでは?」という思いが頭をよぎる。出来る事なら来年も再来年も仲間達と沖縄にやって来たい。レースはもちろん、もっと沖縄の文化に触れたいと思うし、食べていない沖縄料理もあるに違いない。
「飲むか?」
隣のシートに座ったNOBがオリオンビールを勧めてきた。
「やるか?」
私は、先ほど売店で買った大東寿司を開いてNOBに差し出した。
窓の外はすでにかなり暗く、滑走路の明かりが点々と見える。
「今年もあっという間だったな」
「ああ、そうだな・・・・」
我々を乗せた機体がゆっくりと動き出した。
ツールドおきなわ2007 完
最後まで御覧いただいた皆様!毎度の事ながら長々すんません。本当にありがとうございました!
ツールドおきなわ2007 6 [自転車日記]
第6回 首里城
『沖縄の夜明け』
私は過去に3回沖縄に来ている。しかし、首里城を見学したことは一度も無かった。美ら海水族館には2回足を運んでいるので、
「もうジンベイザメはいいだろう、首里城も見学するべきだ」
全員の意見が一致し、今回はれて首里城見学が実現される運びとなった。『日本の城100選』を目標とする鶴之丞にとっても絶対に外せない場所である。
全員早めに目覚めて早速行動開始。
行動にあたってまず何をしなければならないかというと、それは朝食を摂るという事。朝食は一日に活力を与えるのである。
『朝食は楽しいバイキング』
『通称H/K盛り』
H/Kにとってはようやくまともな食事。大好物の納豆と飯を食いまくる。好き嫌いが多いのは難儀だなぁ。
『おかずを沢山並べて大喜びのNOB』
「旅先での朝食って美味いんだよなぁ。東京にいる時なんて朝飯食ったこと無いけど、旅に出ると食っちゃうね・・・」
ご飯のほかにもパンやシリアルなどが用意されていた。鶴之丞はシリアルにヨーグルトをかけてバリボリと食べていた。
我々は朝から満腹となった。エネルギーの充填は完了。チェックアウトを済ませると、車に乗り込み名護を後に、一路那覇へ。
『金武湾』
首里城公園へ到着。ここも世界遺産に登録されている。入り口には沖縄装束を身にまとった綺麗なお姉さんたちが待機していた。料金を払うと一緒に記念撮影してくれるのである。望みとあらば、自らも装束をまとうことも出来る。まあ、我々はお姉さん達を眺めただけで素通りしたが。
さあ、早速見学。
『守礼門』
『そのひゃんうたき石門』
『歓会門』
『瑞泉門』
『漏刻門』
『慶福門』
『奉神』
『内部も復元されているので見学することが出来ます。琉球の歴史や文化などを勉強できます』
鶴之丞のデジカメの電池は残り僅か。搾り出すように何枚か写真を撮っていた。鶴之丞にとって一番来たかった場所なので思う存分写真に残せなくて残念。でも大丈夫。俺が沢山撮っておいたからな。
『久慶門』
通用門みたいなものでしょうか?ここを通って首里城から出た。
一通り見学を終えると、土産物屋でTシャツなどを買った。なぜかH/Kは傘を買っていた。雨も降っていないというのに・・・。訳の分からないヤツだ。これは後日談になるが、沖縄からの帰り、羽田空港の荷物引取り場での事。ベルトコンベヤに乗って預けた荷物が流れてくる。ほとんどがバッグ、カバン。その中に傘が一本無造作に混じって流れてきた。傘なんか預けるのはH/Kしかいない。周りに集まった乗客の中から
「ふふふ・・・傘が流れてきたよ・・・・」
「ふふふ・・・・」
笑い声が聞こえた。思わず吹き出すのもうなずけるほど滑稽なシーンだった。
私は恥ずかしいので知らない振りをした。H/Kがなぜ傘を買ったのか?しかもそれは首里城で買わなければならないほどの物だったのだろうか?もしや、「観光地では記念に傘を買う」ということが私の知らないうちに常識となりつつあるのだろうか?その答えはH/K以外誰も知らない。
念願の首里城見学を済ませた我々は、国際通りへと向かった。
つづく
ツールドおきなわ2007 5 [自転車日記]
第5回 レースを終えて
レースを終えた我々は、自転車で宿に戻った。部屋に着くと、すぐにジャージを脱ぎ捨て、自転車の分解作業に入った。このホテルではツールドおきなわ当日に自転車の配送業者がスタンバイしているので大変便利だ。
分解した自転車を輪行バックに詰める。この日までに着たシャツや、靴下、パンツなども一緒に詰めて東京の自宅まで送ってしまうのである。
自転車を担いで、配送業者がスタンバイする地下駐車場まで行き、荷物を預けほっと一安心。我々は、会場付近のジャスコへ買い物に出かけた。
ここで、ある程度のみやげ物を買い、家まで送る。私は『ラフティ』『ソーキ』『豆腐ヨウ』等の食品を主に買い込んだ。もちろん泡盛も。
NOBもかなりの食品を買い込んでいた。泡盛は小型の甕に入った物を買っていた。これで当分は東京に帰っても沖縄料理を楽しめそうだ。
さらにNOBはジャスコで蕎麦まで食っていた。レース後の空腹に耐えられなかったのだろう。これから『ふれあいパーティー』だって言うのに。
その頃鶴之丞は、電気製品売り場をさまよっていた。デジカメの電池が切れかかっていた為である。彼は充電器を忘れてきていたのである。何とか充電器を入手し、明日予定している『首里城見学』までに充電を完成させたいところである。ちなみに私のコンパクトデジカメはこんな時のために単3電池が使えるものである。デジ一の方もちゃんと充電器を持って来てあります。以前電池切れで苦い思いをしたことがあるもので。
さて、買い物を済ませると、会場に戻る。ふれあいパーティーで振る舞い酒とおにぎりや豚汁をむさぼり食うためである。いや大事なことは、発行される完走証明書を受け取ること。走破タイムと順位が記されているA4縦の表彰状みたいな物である。会場にはこの時のために「ラミネーター屋」が控えている。多くの選手がこの完走証明書と、自分のゼッケンを背中合わせにしてラミネートしてもらう。自宅まで配送するサービスも行っていて、ラミネーター屋は大盛況である。
私たちも完走証明書を受け取ると、すぐさまラミネーター屋に走り、パウチを依頼した。ちなみに御代は200円だったかな?
『ふれあいパーティー』
レースがすべて終了すると、メイン会場で表彰式とふれあいパーティーが開催される。おにぎりや豚汁、鳥汁等の食べ物のほか、泡盛やオリオン発泡酒などが振舞われる。ここでの食料争奪戦も激しい物がある。飢えたハイエナのごとくアスリートとその仲間達が食料に群がる。中でも毎年出てくる名物料理である「豚の丸焼き」は大人気である。私は一度も口にした事がない。いや、一度あるけれど、ほとんど残飯と化した皮の切れ端だけ・・・。丸焼きの画像は去年の記事を見てください。
しかし今年は、H/Kの手柄で一皿ゲット!H/Kのヤツ、自分は食えないくせに我等のために手柄を立ててきやがった。
『豚の丸焼き<盛り付け例>』
こうして我々は豚の丸焼きを味わうことが出来たのである。満腹状態で我々は会場を後にした。ツールドおきなわまた来年この会場で会おう!
レース後の楽しみといえば、思い切り酒を飲んで料理を楽しむことにあるのだが、いつもふれあいパーティーの会場で腹12分目までがっついて食べてしまうのがいけない。NOBに至ってはジャスコにて蕎麦まで食ってしまって超満腹状態。それでも部屋でしばらく休むと、夕食を食いに出かけるところが我々のいいところ?
ホテルの部屋を出て、駐車場へ。レンタカーの近くまで来たとき、会長があるものを発見した。
「何この凹み・・・・こんなのあったっけ?」
「ええっ?こんなところがへこんでたっけ?」
レンタカーの後部、上の部分がベコリと凹んでいるではないか!
「ぇえ~っ!これはなかっただろ?」
「でも、どこかにぶつかったなら乗っているときに気付くだろ?」
「俺ぁずっと後ろに乗っていたが気付かなかったぜ?こんだけ凹むなら相当の衝撃だろう・・・」
「止めてある時に他の車がぶつかってきたのかも・・・」
「とにかくレンタカー屋には明日の朝一で連絡することにしよう。最初から凹んでいたのかもしれないし・・・」
我々は、レンタカーに付いていたナビゲーションシステムで検索した料理屋へ向かった。『中好(なかよし)』という沖縄料理屋にたどり着いた。トンカツなどもメニューにあるのでH/Kでも食べられるはず。
『お約束』
オリオンビールでレースの無事と全員完走を祝って乾杯。鶴之丞は禁酒中なので飲めません。
『牛刺し』
『サイコロステーキ』
沖縄は牛肉が安い。肉好きの私にはうれしい価格。H/Kもトンカツ定食で大満足!
『トンカツ定食をむさぼるH/Kと食い物の写真を撮りまくるNOB』
の・・・・はずが・・・?
『浮かない表情』
「なんだ?H/K」
「いや・・・トンカツはいいんだけど・・・」
『A1ソース』
「このソースがスッパイ・・・こんなソースやと思わへんかった・・・」
また文句を言い始めた。
「やろうッ!H/K」
「また食いもんに文句付けやがって!しらけるね・・・・」
『グルクンの唐揚げ。沖縄ではよく食べられている魚です』
「明日はどうする?」
「そうだなぁ、まあ、早めにこっちを出て首里城見学に行こう。鶴之丞の城めぐりにも新たなスタンプが捺されるわけだ・・・」
「・・・ところでレンタカーの凹み・・・」「やな事思い出させるなよ!」 何はともあれレースが終わったことで緊張感も解け、ゆったりと沖縄の夜は更けていくのであった。
つづく
ツールドおきなわ2007 4 [自転車日記]
第4回 レース
11月11日午前5時。携帯電話の電子音が私を眠りから覚ました。
「むぅ、もう朝か・・・」
私はベッドの上で上半身を起こし、部屋の中を見回した。仲間達も目覚まし音に反応して、土から蘇ったゾンビのように緩慢な動きで寝床から這い出そうともがいている。皆口数は少ない。頭は半分眠っているのだろう。それでも、ずるずると布団から這い出すと、それぞれ身支度に取り掛かった。時間はあまりない。
部屋の外からは早くも出発する人々の話し声や、足音が聞こえてくる。今日このホテルに宿泊している人のほとんどが自転車関係者だといってよい。
私は昨夜のうちに買い込んでおいたパンやコーヒーを無心で胃袋に詰め込み、ジャージを身にまとった。
「行こうぜ」
我々はエレベーターで一階まで降りた。フロアは色とりどりのジャージをまとった選手達と自転車で溢れていた。思い思いに自転車にまたがると、会場目指して走り出してゆく。
あたりはまだ暗い。交差点では警察官が交通整理を行っている。ボランティアの人々が道路を清掃している。私はその人達とすれ違うたびに軽く頭を下げた。所々でボランティアの人々に挨拶をする声も聞こえてくる。彼らの協力無くして、大会の成功はありえない。
『H/Kの愛車ルックKG555』
会場は熱気に溢れていた。場内アナウンスや、車輪の音、話し声などがごちゃ混ぜになって私の耳を通り過ぎていく。我々が登録している50キロロードレースのスタート時刻は午前7時20分。7時頃にプロがスタートし、その後続々と各カテゴリーがスタートして行く。我々のカテゴリーはほぼ最後のスタートだった気がする。
『スタートを待つ選手達』
各カテゴリーがスタートするたび、我々の集団はガチャガチャと音を立てながら自転車を押してスタート地点に移動してゆく。一歩前に進むごとに緊張感が増してくる。
「スタート10分前です・・・・」
アナウンスが入るたびに選手達の表情は硬くなり、ギヤやブレーキなどを必要以上に確認する。
「スタート5分前です」
「スタート1分前です・・・」
ガチャガチャとペダルに足をはめる音が一斉に巻き起こったかと思うと次の瞬間周辺が完全に静かになった。誰かが生唾を飲み込む音が聞こえたような気がした。
号砲とともに集団が動き出した。選手達は密集しているので自分勝手にスタートダッシュを決めることは出来ない。落車の危険が極めて高いので周囲に気をつけながら集団が落ち着くのを見計らいつつ、徐々に網目を縫うように前の方を目指す。
だんだん集団にはスピードが乗ってきた。前方にH/Kと鶴之丞が見える。私のそばにはNOBがいるはずだが確認は出来ない。
前線の影響で沖縄の風は強かった。出来るだけ集団で走って風の抵抗をなくさなければならない。私は集団の中を安定して走った。久しぶりのレースだが、思ったよりは楽である。心配していた膝の痛みも出る気配がない。集団のペースが遅かったのかもしれない。そのせいか、やがて大集団はばらけ始めた。大きく二つに分かれた集団はだんだんその距離を離していった。前方集団にH/Kと鶴之丞。後方集団に私とNOBがいた。
道端には早くも落車したと思われる選手が膝を抱えてうずくまっていた。大きなケガでは無さそうだが、悔しそうだ。
私がいる集団では、各選手が前に行ったり後ろに行ったりするものの、スピードは一向に上がらず、前の集団からは離される一方だ。私はじれてきた。もう少しスピードを上げて前の集団に追いつきたかった。練習不足の割りに脚力に余裕を感じた私は、ここでいきなりアタックをかけた。集団の中でスピードを上げ、気力の充実を見計らって集団の先頭に踊り出た!その後もグングンスピードを上げると後続を突き放し、前を走る集団に合流する!!・・・・・はずだったのだが・・・・。
集団の先頭に飛び出した私は、重めのギヤをガシガシ踏んでさらにスピードを上げた。振り返っていないのでどの位の差がついたかは知らないが、結構一人で走った。集団の中で走っていたせいで忘れていた風圧が容赦なく私一人にぶつかって来る。急激に太ももが重くなるのを感じた。
「ぐ、こりゃきついな早く前の集団に合流しなければ・・・」
顔を上げて前を見た瞬間、私は真っ青になった。
「し、しまったぁー・・・・」
近づいてくるのは巨大な坂。
「これはヤバイ。この風の中でこの坂・・・。単独走行で逃げ切れるわけがない。ここは一つ、もとの集団に戻って体勢を整えて・・・・」
とあわてて考えていると、あっという間に集団に飲み込まれていた。いや、飲み込まれただけではなく、坂の途中で私は集団全員に抜き去られ、後方でまたもや単独走行を余儀なくされた。
「やっちまった・・・・・」
完全な作戦ミスだった。脚力をアタックで使い果たした私は集団から取り残されて一人で向かい風と戦わなければならなくなった。何とか集団に戻ろうともがくのだが、一向にスピードは上がらず、疲労と恐怖だけが増幅されていく。あんなに快適に集団で走っていたのに、安易な考えと慢心によって一気に窮地に自らを追い込んでしまった。悔やんでも悔やみきれない。やがて集団は見えなくなった。足に力が入らない。周りに自転車の影が見えなくなった。
完全に孤独。静かな沖縄の朝の中で私は自転車を降りようかと思った。アタックに失敗してリタイヤとは何と恥ずかしいことか。差し掛かったなだらかな坂道をギヤと肩を落としてうなだれながら登っていく。と、突然ガンガンという激しい音と、声が聞こえてきた。
「がんばれ!がんばれ!」
顔を上げると、沿道で近所に住むおっさんだろうか?鍋を叩きながら応援している。周りには誰も走っていないので、その声援は間違いなく私に向けられているものだ。
私は咄嗟におっさんに向かって頭を下げた。何を考えてているんだ俺は。一度の失敗でレースを諦めようなんて、ダサいぜ俺。周りに自転車が走っていなくたって見ず知らずのおっさんが応援してくれているじゃないか?朝暗いうちから道路を掃き清めて選手たちの無事を祈ってくれたボランティアの人達に何て言えばいい?沖縄入りした夜、居酒屋で出会った大阪の中年夫婦は
「勝とうなんて思わなくていいから、レースを楽しめばいい」
そう言ったし、
「そのつもりです」
そう答えたはずだ。
私は夢から醒めたようにギヤを変えると、全力でペダルを回した。レース中に少しでも堕走した自分が恥ずかしい。大してスピードが上がったわけではないが、確実に一踏み一踏みゴールに向かって進んだ。前方に選手が見え始めた。そうなると勇気も湧いてくる。スピードを上げて前を走る選手と合流した。一人より二人。風の抵抗を分け合うことが出来るので、若干楽である。スピードも上がる。前方にさらに二人選手が走っているのが見えた。我々は申し合わせたわけでもないのにスピードを上げて前の選手に合流した。これで4人。4人も集まればだいぶ楽である。スピードを保ったまま安定した走りが出来るようになった。
上り坂の頂上付近で地元の子供達が通り過ぎる選手達を応援している。声を出したり手を振ったりしながら大はしゃぎである。我々は子供達に近づくと子供達が差し出した手のひらにハイタッチして声援にこたえた。
いつしか私の周りに選手達が増え始めた。力を合わせてゴールを目指す。ふと前方を見るとNOBが苦しそうに走っている。私はNOBに追いつくと、話しかけた。
「やっと追いついた」
「おお!」
NOBも心細かったのだろうか?我々は先頭交代を繰り返しながら徐々にスピードを上げていった。沿道の応援の感じからするとゴールは近いはず。すぐに『残り5キロ』の表示が見えた。こうなると、力を合わせて走ってきた選手達の表情が険しくなる。お互い「ライバルに戻る時」が近づいてきた証拠だ。
周りの空気に緊張感が満ちてくる。選手達は周りを注意しながら、抜け出すタイミングを見計らい始める。レースに出場しているからには一つでも順位を上げたい。心拍数と比例してスピードが急激に上がる。
最後の直線に差し掛かった。残った力を爆発させてゴールに向かって疾走する。風を切り裂く音が全身を包む。ゴール直前、併走するNOBに手を差し伸べる。NOBも手を出してきたので握手しながらゴールラインを乗り越えた。
ふらつきながら自転車を降りると先にゴールしていたH/Kや鶴之丞が迎えてくれた。今年も全員無事に完走出来た。鶴之丞に至っては数年前に比べたら大幅な成績アップ。酒を断ち、練習した成果が出たといってよい。なんと言ってもはじめて参加した時はひどかった。ビリから4番目くらいだったのだから。
これで今年の沖縄でのレースは終了。私は去年よりは若干タイムが上がった。去年は練習不足でひどかった。
今年は作戦失敗により辛い思いをした。
「これはまた来年も出場しなければならないな・・・」
そんな思いが私の頭の中にプカプカと浮かぶのであった。
つづく
ツールドおきなわ2007 3 [自転車日記]
いつも御覧いただきまことにありがとうございます^^今回は皆様への感謝のしるし?として、おきなわの夕日とレース前日に食べた沖縄料理をお届けいたします。大変写真が多くなります。御了承ください。
第3回 沖縄の夕暮れと料理
夕食をとりに我々はホテルを出た。目指すのは『大家(うふやー)』。何でも昔からある沖縄家屋を3棟改装して作った料理屋だと言う。沖縄気分が満喫できるに違いない。
暗く細い山道を車は走る。周りにはほとんど電灯がなく、まさにヤンバルクイナでも飛び出してきそうな雰囲気である。カーナビに沿って鶴之丞がハンドルを握るレンタカーは走るのだが、どうも周りが寂しい。
「おい、本当にこんな所に料理屋があるのか?」
「まるで人気がないなぁ・・・」
「でも地図ではこっちであっているよ」
「・・・場所があっていてもすでに閉店しているとか?」
「ガイドブックにも載っているほどだから閉店しているなんて事はないでしょ」
「じゃあ、まさかの定休日か」
そんな話をしながら全員で窓の外に目を配るすると
「!おっ!看板が出ているぞ」
「本当だ、この先らしい。矢印が出ていたぞ」
「とにかく行って見よう」
「おお!山の上のほうに明かりが見えたぞ!あそこじゃないか?」
我々は案内の看板に従って進んだ。すると、目の前に駐車場が見え始めた。駐車場には多くの車が止まっていた。営業しているようだ。
薄暗い中に沖縄家屋がライトアップされ、妙に幻想的である。我々は早速店に入った。
店内はバルコニーと座敷で構成されていた。我々は座敷を選んだ。6畳位の部屋だったと思う。すぐに店員がやってきて注文方法などを説明した。どうやらコースがいくつか設定されており、客はこの中から好きな物を選ぶ。単品料理もあるが、一人1コースたのむのが前提である。また、ここは室内であるため『アグーの陶板焼き』は注文できないと言う。我々はそれぞれ思い思いのコースをたのんだ。H/Kは好き嫌いが激しいのでかなり悩んで周りのブーイングを浴びた。なにせこの男、肉も魚もろくに食えない。飯と納豆だけで大きくなったようなヤツだ。土地土地のうまい物を食べられないなんて何と可哀相なヤツ。で、H/Kは『小鉢コース』と単品で『島豚のしゃぶしゃぶ』を注文した。それを見たNOBと私は、
「また訳の分からない注文の仕方をしてるよ」
「人が美味いとい言って食っているものをけなすなんて、これほどしらける物はないね・・・自分の舌に合わない文化を知ろうともせず、認めることが出来ないなんて、なんと心の狭いヤツ。しかも馬鹿にしやがって。てめぇはポテトチップスでも食ってろ!」
からかった。
では、料理の写真を御覧ください。ぶれていますがお許しを。
『コース料理 小鉢で色々出てくるので色々な料理が楽しめる』
『アグー』
『私の大好物 豆腐よう』
『もずく』
『お待ちかねのラフテー』
『島の豆腐は固めです私好み』
『てんぷら 紅芋と・・・なんだっけ?』
『ゴーヤチャンプルー』
『島豚のしゃぶしゃぶ やわらかくて最高でした!』
『アグーのしょうが焼き』
『パイナップル』
『オリオンビールで乾杯!明日のレース、頑張ろう!ぬちぐすい!!』
お腹一杯食べられましたか?続きましてはゆったりと沖縄の夕暮れをお楽しみください。
ツールド沖縄2007 2 [自転車日記]
第2回 エントリー
沖縄二日目の朝を迎えた。同行した会長はダイビングをするため、9時ごろ出かけて行き、私は朝食のバイキングを楽しんだ後、一人ホテルの部屋で仲間達からの連絡を待った。
10時を回った頃、NOBから連絡が入った。「レンタカー屋へ向かっているのでもうしばらく待ってくれ」との事であった。私は出発準備をして、ホテルの前で待った。
ツアーオブみなかみ2007 その7 [自転車日記]
気が付いたら第7回になっていました。今年の水上もこれで最終回にしたいと思います。
『上毛戦隊 ぐんまん』
ダムの近くに温泉がある。温泉でリラックスしたら、後は飯でも食って東京に帰るだけ。数年間欠かさずにみなかみを訪れているが、毎年変わっているようでもあり変わらないようでもある。今年入った温泉は数年の歴史の中で始めて行ったが、なかなか面白い温泉であった。
「どの温泉にしようか?」
「宝川には何回も行ったし、たぬきの所も行ったことがあるなぁ・・・」
たぬきの所とは、洞元荘という湯の小屋温泉の有名?な温泉宿で、たぬきの置物がたくさんある。
「お!この温泉はどうだ?まだ行ったことがないだろ?」
『龍洞』という屋の宿があったので、
「温泉だけって入れるんですか?」
「ええ、数ある露天風呂の中からいくつかは日帰りで入れます」
「じゃあ、お願いします」
ということでこの宿に決定。バスタオルを借りたりしているうちに・・・。
「普段は7箇所の露天風呂を日帰りのお客様に提供しているんですが、本日は特別。すべての露天風呂を御利用いただけます」
「ほんとですか?nice!!」
ここの風呂はこんなシステム。
NOBの背後に大きな地図が御覧いただけると思います。その中にナンバーをふった温泉が書いてあるでしょう。それ一つ一つが露天風呂になっているのです。地図の下にある番号札を持って風呂場に行き、入り口にかけると、
「この風呂は今貸しきり中ですよ・・・」
という合図なのである。風呂を堪能したら、また入り口のこの場所まで戻ってきて札を戻す。そしてまたお好みの札を持って風呂場に向かう・・・と言うシステム。いちいち着替えなきゃいけないのが面倒くさいけれど、いくつもの景色や趣向を楽しめて面白い。すべての風呂が貸しきりシステムなのでカメラを持ち込み撮影に成功した。
『温泉に猿が! いいえ、H/Kです』
『湯船に浸かって秋の空を見上げる』
『一つ一つの風呂は小さいが、景色が変わる楽しさがある』
各自数種類の風呂に入り、入り口に集合。
『風呂上りのビールと発泡酒 ウマス!』
さて、たっぷりと温泉を楽しんだら今度は空腹を満たす。
「自転車でいつも走る道に『イワナ塩焼き・骨酒』の看板がかかったところがあるだろ、行って見ないか?」
ということで、早速その店に。
藤原湖畔にあるその店の名はただち庵という。恐る恐る店に入ってみると女将さんが一人いた。
「やってますか?」
「ええ、いいですよ、どうぞ」
「今日は連休も終わりでお客さんが来ないもんだから、早仕舞いして市民プールにでも行こうと思っていたところ」
女将さんは我々を座敷に案内すると話し始めた。
「みなかみには初めて?」
「いいえ、毎年来ています。この店は前から気になっていたんですけど・・・」
「あらそう。何にします?今日出来るのは山菜の天麩羅、キャラブキの佃煮、昨日造って冷やしておいたのがあるよ」
「じゃあ、それもらいます。後、ビールを2本」
そんな話をしながらふと窓を見てみると・・・。
「で、でかいぜ!」
「大丈夫よ、刺さないから。この辺は田舎だからね、虫がたくさんいるのよ」
『藤原湖』
「前はこの下で貸しボート屋をやっていたんだけどね、ダムが出来るっていうんで権利を売ったの」
女将さんはその頃まだ子供だったろう。藤原湖の底には何軒くらいの民家が沈んでいるのだろうか?
さて、山菜の天麩羅があがってきた。茗荷が旬らしい。まいたけも美味そう!
『塩だけでガツガツむさぼり食いました。ウマス!』
女将さんとのんびり話をしながら、心づくしの料理をいただいた。サービスがよく、大変うれしかった。この辺、シーズンオフの特権だろうか?最後に食べた黒く平たいキノコ(名前を忘れたのが残念)が入った蕎麦の出汁の美味いこと!高価なそのキノコを惜しげもなく出してくれて、それでいて料金は据え置き。正直感動した。
「またみなかみに来る事があったらよらせてもらいます!」
「はいはい、気をつけて帰ってね。私はこれから市民プールに行ってくるから・・・」
女将さんは店を閉めると、自家用車に乗って市民プールに出かけていった。山歩きが好きだと言う女将さん、歩きすぎて足を痛めているらしい。杖を突いていた。プールもリハビリの一環らしい。
「さて、今年の水上も終わりだ。帰るとするか・・・」
「また来年、だな」
我々は車に乗り込むと。大いなる秘境みなかみに別れを告げた。
男4人とそれぞれの自転車を積んだ車は東京目指して走り出した。
ツアーオブみなかみ2007 完
ツアーオブみなかみ2007 その6 [自転車日記]
やまびこに別れを告げた我々は一路ダムへ向かった。
『下から見るとこんな感じ』
『おお~っっでけぇなぁ・・・ マイナスイオン値が高くリフレッシュできるはず!?』
『でも落ちたら・・・・途中では止まらないだろうね・・・・』
『二枚目の写真を撮ったところを上から見た図』
『景色もよし。 この奈良俣湖にはどんな魚が待っているのだろうか?身の丈三尺三寸にも及ぶ大物イワナが潜んでいるかもしれない。否が応にも釣り師の魂は騒ぎ出すのであった・・・・』
『あら・・・^^;』
『奈良俣ダムの規模』
『アイスとジュース。そしてイメージキャラクターの源君と愛奈ちゃん』
景色とマイナスイオンでリフレッシュした我々は、更なるリフレッシュを求めて温泉へ向かうのであった。
つづく