ツール・ド・おきなわ2006 Ⅲ [旅日記]
第3回 島唄
『あんまー家』を出て24歩。アロハを着、三線を抱えた男が立っていた。あんまー家から持ってきたチラシを見せると。
「はい、ここですよ!どうぞお入りください」
私達をいざなった。
階段を上がり、店内に入ると、思ったよりも広い飲み屋であった。
席に着き、飲み物を注文し、店内を眺める。私たちの他に客は居らず、貸しきり状態であった。
お通しが出された。
『ジーマミー豆腐』
落花生から作られた豆腐で、先の『あんまー家』でもお通しとして出されたものである。ジーマミー豆腐をお通しにするのが流行っているのだろうか?このジーマミー豆腐は、ババロアか?いや、ごま豆腐のような食感で、甘辛いタレがかかっている。私は気に入った。最終日に土産物屋で購入して帰ったほどである。
さて、ゆっくりと飲んでいると、他に客が一組入ってきた。60歳を超えた男性と、80はゆうに超えていそうな女性である。カウンターの奥の席に着くと、女性客がタバコを吸い始めた。
先ほど、店の入り口で三線を抱えていた男がステージに上がった。
「まだお客さんも少ないようですが、そろそろ始めたいと思います」
沖縄民謡の始まりである。
私達はゆっくりと飲みながら沖縄民謡を聞いた。演奏者の三線弾き語りである。題は忘れてしまったが、宮古島の民謡を紹介したときに、カウンターに座った客のうち男性の方が、
「知っていますよ!」
答えた。
「へー、良く御存知ですね」
「実は私たち、8日かけて沖縄の島を巡って来たんです。母を連れてね。その中で立ち寄った宮古島でその唄を聞きました。今日が最終日で、那覇に戻って来たんです」
なるほど、さっきの客は、母親を連れた旅行者であった。母親はカウンターでタバコをふかしている。耳が遠くなってきているのであまり民謡は聞こえないようだが、8日間も島を回るとは年の割には体力があるものである。しかし、親孝行な男性である。私も、母親を連れてのんびりと沖縄の島々を巡る日が来るのだろうか?突然親孝行したい気分になってきた。
ステージの方は、ビギンの曲なども織り交ぜてリクエストコーナーに入った。
「何か、リクエストはありませんか?古い民謡だけでなく新しいのでもいいですよ」
誰も(といっても、客は4人しかいないが)リクエストしない。私がリクエストするしかないようだ。
「なだそうそう何か出来ますか?」
「お、良いですね、最近映画にもなったようですし、『なだそうそう』行って見ますか。なだそうそうと言うのは『涙が一杯出て、止まらない』という意味です」
男はなだそうそうを歌い上げた。
「他にリクエストはありませんか?」
「じゃあ、『花』は出来ますか?」
「オレンジレンジの『花』じゃ、無いですよね」
「はは、喜納昌吉さんの方」
「はい、喜納昌吉さんの花。世界で一番歌われている日本の歌だそうですよ。聞いてください・・・」
男は『花』を歌い上げた。
「さて、それでは続いて『ハイサイおじさん』。これは志村けんが『変なおじさん』でやっていますね。でもあれは、ある意味間違いじゃないんですよ。喜納昌吉が子供の頃、通学するときにいつも出会うおじさんがモデルだといわれています。ハイサイというのはこんにちはという意味で、『通学のときに子供がおじさんをからかって、それにおじさんが答える』という作りになっています」
陽気なリズムと沖縄音階で楽しい気分になってくる。
「さて続いてはザ・ブームの島唄。これは有名なので皆さん御存知だと思います。あるときひめゆりの塔を訪れたブームが土地のおばあさんから聞いた話をもとに作られた曲です。『でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た・・・』これは、でいごの花が咲く季節に戦争がやってきたという意味です」
「へぇ、なるほど・・・」
「『うーじの下で・・・・』というのはサトウキビ畑の下に防空壕があったという事をあらわしています」
「へぇ、そういうことだったのか」
・・・じゃあ、『うーじの下で千代にさよなら・・・』という件はとても悲しい意味になってくるのではないか!?
私達は唄にこめられた意味を噛み締めながら『島唄』を聞いた。
その他にも民謡を数曲、ビギンの『島人ぬ宝』等が演奏され、ステージは終了した。思わず勉強になる民謡ライヴであった。ライブ後に、三線も弾かせてもらったり(いじっただけだが)とても楽しい時間を過ごせ、大変満足した。
その後、会計まで私と同級生だというこのアーチストが行うという人手不足にはウケた。
私達は店を出るとタクシーに乗って宿まで帰った。明日の朝には、H/K、Itohshi、NOB等がやってくる。いよいよレースモードに入る。
ツール・ド・おきなわ2006 Ⅱ [旅日記]
第2回 あんまー家
国際通りの牧志駅寄りにある、郷土料理居酒屋『あんまー家』に私と会長は入った。店の前に出ていたメニューで「例のもの」の存在は確認済みである。
「いらっしゃいませ」
従業員の男性に迎えられ、私は靴を脱いだ。店内は大きなカウンターがあり、億にはテーブル席もあるようだ。私は目の前のカウンター席に座った。
カウンター内には女将さんらしい女性が一人、その奥の厨房にはさらに年配の女性がいた。家庭料理の雰囲気が良く出ていると思った。
まずはオリオン生ビールで乾杯。今年も無事に沖縄に来ることが出来てよかった。すかさず、メニューを開くと、もう一度例のものを確認。
「む、確かにあるな」
しかし勿体つけてすぐにはたのまなかった。
「えーと、豆腐ようと、スクガラス豆腐を」
「はい」
『豆腐ヨウ』
豆腐を陰干しにした物を泡盛で洗い、米麹、紅麹で作った漬け汁に漬け込んで熟成させたものである。爪楊枝や箸の先でこそげ取って少量ずつ食べる。酒のつまみに最高である。色々な店のものを食べたが、この店の豆腐ヨウもなかなか美味かった。
『スクガラス豆腐』
こちらも豆腐料理。私は基本的に絹ごしより木綿豆腐のほうが好きである。沖縄の豆腐は水気が少なく硬い。私の好みにマッチしている。
この料理は、スクガラス(アイゴの稚魚の塩漬け)をその沖縄豆腐に乗せてある料理である。そのまま食べてはしょっぱいスクガラスは、豆腐とともに食べることによりちょうどよい塩辛さになる。これも酒のつまみに最高で、初めて食べたときから私は虜になってしまったのである。
『ラフテー』
いわずと知れた沖縄料理。沖縄では豚を良く食べることは前回述べた。とろりとして、ほろほろしてて最高でした。ひたすら食べ続けたい気がしました。
さて、話は二年前にさかのぼる。私が初めて沖縄に行く事になった年の事。沖縄出身の友人に
「何か沖縄で珍しいものでお勧めの料理は無い?」
と、聞くと、
「山羊汁と山羊刺し」
という返事が返ってきた。
「山羊汁は臭いよ、そして山羊刺しは子供が食べちゃ駄目なんだよ、熱が出るから・・・」
「なに!そんなすさまじい食べ物なら食べてみたい」
と、言うことで私は山羊刺しを食べることを目標として沖縄へと飛んだのである。しかし、その年も、またその次の年も山羊刺しにありつくことは出来なかった。そして今年、この『あんまー家』で、山羊刺しを食べるチャンスが巡って来たのである。
「すみません、山羊刺しは、、、ありますか?」
メニューに載っているにもかかわらず、私は恐る恐る店員に確かめた。なぜなら去年一昨年とメニューに載っていながら食べられないということが続いたからである。
「はい、ありますよ」
店員は事もなさげに答えた。
「む!よし。では一ついただこうか、な・・・」
とうとうやった!たのんじゃった!山羊刺しを注文して、オーケーをもらった!(ってなんのこっちゃ?)私は記念に泡盛も注文した。残波だったかな?覚えていないが、山羊刺しと泡盛を一緒にやろうという趣向である。
『泡盛をロックで』
先にたのんでおいたゴーヤーチャンプルーなどをつまみながら待つこと数分、とうとう「その時」がやってきた。
『山羊刺し』
とうとう目の前に姿を現した山羊刺し。沖縄ではヒージャーと呼ばれるようだ。少し凍っている感があるのはルイベ状にして菌を殺すためだろうか?とにかく早速タレにつけて食べてみる。
「!!こ、これは・・・!」
もう一切れ、
「むう・・・これが山羊刺しか」
口に含んだ瞬間、山羊の香りが口から鼻腔にかけて駆け抜けた!なんと言う鮮烈さ!なんと言う臭さっ!いま、俺の胃袋の中に山羊が住み暮らしている!これは臭い。
写真をご覧ください。山羊の背後に緑色の野菜が見えると思います。これが去年私が食べた『馬汁そば』にも山ほど乗っていた野菜である。調べたところ、ヨモギの一種でフーチバと呼ばれるものらしい。山羊の風味、フーチバの風味、フーチバで山羊臭さを消すということだろうか?私の泡盛を飲むペースが少し上がった気がした。皿の上の山羊はすべて私の胃袋に納まった。
ともあれ、私の願いはとうとうかなった。山羊を追い求める旅に終止符が打たれたのである。
こうしてみると、たいして料理を食べていないが、この時は非常に満腹間を覚えていた。カウンターの上にチラシが一枚。『沖縄民謡ライブ居酒屋 徒歩24歩』
「徒歩24歩?」
「行って見ようか」
我々はあんまー家の人々に見送られながら、店を後にした。
つづく
田舎へ行ってきました。 [旅日記]
『縮玉(ちぢみだま・しゅくぎょくとも呼ばれる)』
『縮玉の花』
『なんだか分からない鉢・・・元々姫木賊(ヒメトクサ)を育てていた鉢だが、コケがモリモリと覆い、そこにスミレの種が飛んで出来た』
昨日、今日と久しぶりの連休であったため、田舎に行ってきた。母方の田舎の家は今年6月に解体されることとなった。小さいときによく遊びに行って思い出の詰まった家なので、壊される前に見ておきたかったのだ。